この時代に生まれた意味

今の私の基本を作ってくれたのは
東映株式会社でした。

自分が歌手デビューすることなんてない
と思い、就職活動に参加した学生時代。

コネもなく、
成績が悪かった私は
実力(筆記)で一次試験を突破できる
マスコミ業界以外
働く道はありませんでした。
数々のレコード会社を落ち、
縁あって、映画会社に入社したわけですが…

私は高校生までしか
映画を見ておらず
「高倉健のあのシーン」
林海象監督って誰?など、
みんなの話に
全くついていけず
たいへんなことに
なりました。

今でも、
映画ヲタク的な見方はできませんが
あの当時、沢山映画を観たことが
後に勤めた放送局で
放送番組の売り買いをする仕事をした時に
役に立ちました。

番組販売会社の営業さんより
作品を見ていますし
東映出身ですから
2時間ドラマ(火サス、土ワイ)も詳しいので
クズ作品を押し付けられるようなこともなく
局には貢献できたと思います。

東映に入社して
いちばん大きな財産は
イベント運営の部署に配属されたことと
同期の仲間に恵まれたことです。

MCも物販もADも
なんでもやりました。
もとい、やらされました(笑)

配送センターで
倉庫の社員と
その日に仕事のない俳優さんと一緒に
私が各映画館に対して
納品数を決めた
キャラクターグッズの
荷造りもやりました。

おかげで、現在
イベントならなんでも来い!ですし
MCの学校に通うきっかけも
もらいました。

歌手になるには
遠回りしましたが
今思うと、
無駄なことは、
ひとつもありませんでしたね。

仲間たちは映画や
ライダーに携わりたくて
入社してきました。
受かったから、入ったのは、
私くらいでした。

日本映画が下降な時期でしたから
現場職に就けた仲間は
一握り。

フェイスブックの
東映60周年記念記事の
中島貞夫監督インタビューによると
監督が入社した
日本映画全盛期は
助監督が足りず
希望者は
他部署の人間でもなれていたみたいですから
巡りあわせですよね。

今でも、何人かの仲間と
連絡をとっていますが
偉くなっていたり
バリバリ仕事をしていたり…

私も頑張らないと、と
いつも励まされます。

芸術家は、時代に合わないと
亡くなってから、評価されたりしますよね。それでは遅いのですが
それも、巡りあわせ。

こじつけかもしれませんが
みんな、その時代に生まれた意味が
あるのかもしれませんね。